今週の聖句
「わたしたちは、キリストの体の一部なのです。」エフェソの信徒への手紙5章30節
説教(要旨)
11月17日
「キリストのからだとして」 佐野 治牧師
エフェソの信徒への手紙5章29~33節
エフェソの信徒への手紙では、夫婦について、特に詳しく述べているように思います。それをパウロは、三つの視点から記しています。一つ目は、妻に対して、夫に仕えることを求めています。次に夫に対しては、キリストが教会を愛するように、妻を愛しなさい。と言っています。そして3つ目は、このようなことによって、夫と妻とは一体である、と書いているのです。
カトリック教会では、結婚をサクラメントとしたために、どんな理由があろうとも離婚は許されないことになったと言われているのです。聖書解釈において、カトリック、プロテスタントの違いがある箇所です。カトリックには7つの秘儀と言うものがあります。
「洗礼、堅信、聖体、ゆるし、病者の塗油、叙階、結婚」 これらの秘儀は、キリストによって制定されて、イエス様の愛のしるしを、目に見える形で表したものです。
本日の聖書箇所には、創世記2章の言葉が引用されています。「人は父と母を離れて、その妻と結ばれ、二人は一体となる」とあります。その上で、「この神秘は偉大です。」と記されています。
本日の聖書箇所の前半では、キリストが教会を愛し、清めて、栄光に輝く教会として、ご自分の前に立たせると言って、花嫁と花婿の関係として語られました。
そして後半になって、その頭と体は「一体」なのであると言われて、頭と体の関係から、頭と体の一体性へと話題が移っていくのです。
私たちが毎週行っているこの礼拝は、キリストの体なる教会で行っています。キリストの愛によって、キリストと教会の関係は、一体性へと深まっていくのです。この一体性の中で、キリストは私たち皆を、ご自身として養い、いたわって下さると言っています。
わたしは時々、榎本保朗牧師の『旧約聖書一日一章』を読んでおりますが、今回のエフェソの信徒への手紙5章のところを読んでみますと、以下のように語られていました。
「22節からは、夫と妻に対する教えが記されている。ここでもキリストが基準になっている。キリストが教会を愛された。あるいはキリストが教会のかしらであるというキリストと私たちの関係が、夫婦の関係の原型になっている…「おはよう」や「こんにちは」でも、向こうが言ったら、こちらも言おうというのでは、いつまでたってもあいさつは出来ない。だから愛の交わりが生まれるのも、誰かが先に仕えるということによって歯車が回り出すのである・・・。」このように記されていました。
本日与えられましたみ言葉によって、キリストの愛によってキリストと教会が一つであるこの神秘こそが、本当の意味で偉大なのだ、と告げられました。
主と一つにされているという神秘は、あらゆるこの世の試練や苦難よりも偉大なのです。