今週の聖句

「そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。」使徒言行録2章3

 

説教(要旨)

 5月31日

「聖霊に満たされて」  佐野 治牧師

エゼキエル書37章1~14節

使徒言行録2章1~11節

 

 ペンテコステおめでとうございます。

さて、イスラエルの民にとってとても大切な三大祭りは、過越祭、五旬祭、仮庵祭です。ここに記されている五旬祭は、太陽暦の5月~6月に相当する時に祝われた祭りでした。この五旬祭は、小麦の刈り入れの祭りでありました。また穀物の初穂を祝うお祭りでもありました。もう一つ見ておきますと、過越祭は、イスラエルの民が神によってエジプトから解放されたことを思い起こすための祭りでありました。家族の人数に応じて傷のない1歳の雄の子羊を選ばれて、屠られ、そしてその血が家の門柱に振りかけられたのです。これはかつて主が家の門柱の血を見て、その家の初(うい)子を、人であれ家畜であれ滅ぼさずにすぎ越したことにちなんでいるのです。この過越祭から7週間を経った翌日、つまり50日目に持たれるお祭りが五旬祭で、七週祭とも呼ばれていました。この新しい穀物などが捧げられたこの収穫祭で、主イエスの弟子たちが一つにされたことは、この機会に弟子たちがすべて新しい果実として神に奉げられ、神の務めを新たに果たすように導かれていることも示しているのです。その集まっている時に、突然激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえてきたのです。皆さんも風の音をよく聞くのではないでしょうか。私はこのいわき市に来て、とても風が強く吹く日が多くびっくりしました。風の音、ヒュー、ヒューと音を立てながら移動をしています。それも予告なしに急に強い風が吹いてきます。しかし風は、どこからきて、どこへ行くか、よく私たちにはわかりません。聖霊も突然やって来るというのです。弟子たちはここの家で何をしていたのでしょうか。おそらく祈りをしていたと思われます。そこに神の霊が弟子たちのいた家に来たのです。「激しい風」という表現は、聖霊が人間の力を超えた神の働きであることを示しているのです。

「そして炎のような舌が分かれ分かれに現れ」とあります。皆さんは、教会の入り口で、加藤クレマさんから、赤い画用紙を切り抜いた炎をもらったことと思います。この炎の形は、ペンテコステの一つのシンボルとして挙げることが出来ます。さて、ここに出てきました聖霊の炎を受けた、弟子たちはその後どのようになったでしょうか。人々の間に宿り、信仰の炎を燃え立たせ、福音のメッセージを生き生きと語らせるエネルギーとなるのです。

続けて4節をみてみますと、「すると、一同は聖霊に満たされて、霊が語らせるままに、他の国々の言葉で話し出した」とあります。ここに「聖霊に満たされて」とあります。本日の説教題でもありますが、この著者とされているルカは、どのような時に「聖霊に満たされて」と言っているのでしょうか。

一つは、神様の御用にふさわしく賜物を備えられる、そのような時に、「聖霊に満たされる」という言葉を使っています。バプテスマのヨハネがエリサベトのおなかの中に宿りその予告をしに来た天使は、「母の胎にいる時から聖霊に満たされて」いる、と言っています。(ルカ1章15節)

もう一つの言い方を見てみますと、神様に促されて発言するという発言の前に「聖霊に満たされて」こういった、というように使っています。マリアがエリサベトを訪問した時に「エリサベトは聖霊に満たされて」語りだします。(1章41節)。あるいは、祭司ザカリアは口がほどけて「聖霊に満たされて」ザカリアの賛歌を歌う(1章67節)という、このような使い方をルカはしているのです。今日の「霊が語らせるままに、話し出した」これは後半の使い方をしているのです。という事は、この「聖霊に満たされて」という状態は、この五旬祭の日に起こったことは、この日だけとは限らないという事です。もう前からも、そしてこれからもいろんな人がいろいろな場合に何度も「聖霊に満たされてきた」という出来事であるのです。また聖霊に満たされるという事は、一度聖霊に満たされたから、もう二度と満たされない、という事ではありません。そうではなくて、その時その時に同じ人が何度でも「聖霊に満たされ」るのです。神様が必要に応じて、その人に遭った形で、聖霊で満たして下さるのです。

先ほどの、激しい風のような音と炎のような舌。とありましたが、これは自然現象を超えた出来事が起こったのです。それはその場にいたすべてのものにとって、初めての経験であったのです。けれどもそれがいったい何であったのかは明らかでした。それは十字架の死からよみがえり、天に昇られたあの主イエスが約束された聖霊が今、一同の上に降ったのです。ルカによる福音書では次のような主イエスの約束が記されておりました。「わたしは、父が約束されたものをあなた方に送る。高いところからの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい」(ルカ24章49節)。この「高い所からの力」である聖霊、これが使徒たちの上に降ったのです。主なる神が、使徒たちと共におられることが明らかに示されたのです。

弟子たちは、聖霊に満たされて、それぞれの生まれ故郷に帰っていきました。そしてそこで、宣教活動が始まったのです。そこで行われたのは礼拝です。このような立派な礼拝堂はなかったのです。道端で祈り、賛美し、そして福音を告げ知らせたことでしょう。聖霊の働きによって、2人、3人と増えていき、教会が出来て行ったのです。本日は、世界の教会の誕生日です。月日が流れて、勿来教会が誕生しました。勿来教会が誕生してから、多くの壁が教会の前に立ちはだかりました。けれども聖霊が、勿来教会に集う一人一人を励まして、力づけて下さいました。ですから教会は消滅することなく進むことが出来て、現在に至っています。誕生してから今に至るまで、様々な苦労がありました。しかし神様は、しっかりと私たちを守り導き、今もこうしてこの地に勿来教会が経ち続けております。

 どんなときにも、聖霊は神の民を励まし、力づけ、より豊かな主イエス・キリストの体なる教会を建て上げてこられたのです。これまでの聖霊の導きに感謝し、これからの勿来教会の歩みを主にお委ねして、主と共に歩んでいこうではありませんか